河野太郎氏が日本の外務大臣に任命される

日本の安倍総理大臣は内閣改造を行い、PNND日本の代表である河野太郎氏を外務大臣に起用することを決定した。

 

8月3日の内閣改造で安倍晋三首相は政治経験豊かな河野太郎氏を外務大臣に任命、小野寺五典氏を防衛大臣に再起用した。

現在PNND(核軍縮・不拡散議員連盟)日本支部の代表を務める河野氏はこれまで行政改革を担当、また外務委員会委員長を努めてきた。

河野氏は、「核兵器のない世界:人類共通の利益」声明や、「核兵器条約を支持する議員宣言」に賛同するなど、PNND日本の代表として核兵器条約締結に努めてきた。さらに、北東アジア非核化のための日韓議員共同声明に参加し、北東アジア非核地帯構想を支持してきた。

河野氏は日本、アメリカ、そしてヨーロッパで豊富な経験を積んできた。 

河野氏は1982年に渡米、サフィールド・アカデミーとジョージタウン大学で比較政治学を学び、翌年にはアラン・クランストン議員の民主党大統領候補者指名選挙キャンペーンに携わった。クランストン議員はPNNDの親機関であるGlobal Security Instituteの設立者でもある。

その後河野氏はアラバマ州選出リチャード・シェルビー氏の元で2年間働く。また、彼はワルシャワ経済大学に留学、当時「連帯」議長のレフ・ワレサ氏(後にノーベル賞受賞)の自宅を訪れたために一晩拘留された経験を持つ。

彼の父である河野洋平氏も衆議院議員として外務大臣を務めた。洋平氏は在任期間中、大戦時に日本軍が朝鮮半島で売春施設での強制労働を強いた従軍慰安婦問題について謝罪を発表するなど外交上の大きな業績を残した。

核保有国同盟国の中で唯一、河野太郎氏は国際刑事裁判所で核兵器の使用・威嚇の法的是非について取り上げ、「核兵器の使用は国際法の思想的基盤をなしている人権の精神に明らかに矛盾しているものである」と述べた。

2007年11月、PNNDグローバルコーディネーターのアラン・ウェア氏はPNND日本代表の鈴木恒夫議員、河野太郎議員、 そして梅林宏道氏(PNND東アジアコーディネーター)と共に核兵器条約のモデルを衆議院議長の河野洋平氏 に提出した。

また、河野氏はC型肝炎に感染した父の洋平氏のために生体肝移植のドナーとなったことでも知られている。その後臓器移植法の改正を支持する立場となった。

2002年12月にはイラク戦争支持の立場をとる日本政府に対する抗議として、外務委員会委員長を辞任した。

北東アジアの平和のための外交に奔走する議員として、国会議員の中で唯一韓国語のホームページを運営し、「韓国人のためにインターン・ビザを積極的に発行している」。また、河野氏の親戚は先の大戦で亡くなったため彼は現在靖国神社に参拝しているが、自分が首相になったら靖国神社には参拝することはないとしている(戦犯が合祀されている靖国神社への日本の総理大臣による公式参拝は、中国との国交関係を悪化させる)

核軍縮・不拡散活動を支援するために彼が取った多くのイニシアチブは、包括的核実験禁止条約調印に参加しなかった国々への援助を続けている日本政府に対して反対の立場を示している。

元記事:http://www.pnnd.org/article/taro-kono-appointed-foreign-minister-japan

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